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早いもので、我が子も来月で1歳を迎えようとしています。
寒くなったのでお気に入りのコートを引っ張り出すと、昨年の今頃は前のボタンが臨月お腹に引っ掛かり閉まらなくて途中から着なくなったんだよね…などと、急に思い出浸りモードに突入します。各所に思い出スイッチがたくさんあるぜ!!
妊娠期は週数ごとにブログ書いていたことを思うと、育児での余力のなさを自分の中で比較できますね。
なんというか、時間があれば”生産的”な感じのことを優先しちゃう。
自分用のブログを書く頻度がとても減っちゃったんだよね。
動き回るようになって日を追うごとに目は離せなくなったものの、意思疎通ができたり生活リズムもついてきたり、少しずつ余裕が出てきました。
月一くらい、数年後の自分のためにブログに残す時間を取っても良いかな。
「出来る成長」と「消失する成長」
最近思うのは、「やらなくなる成長」について。
- 寝返りが出来るようになった。
- ズリバイが出来るようになった。
- 掴まり立ちが出来るようになった。
- ハイハイが出来るようになった。
- 歩けるようになった。
そんな感じで一歩ずつ着実に成長して「出来ること」が増えていますが、その一歩手前でやっていたことは、”いつの間にか”やらなくなってるんですね。
歩けるようになってからというもの、ハイハイの合間に頑張って歩いていたものが、いつの間にか歩く比率の方が増えてきた。
昨日なんか数えちゃったけどハイハイしたの4回くらいでした。歩く方が移動しやすくなっている!!
出来るようになる成長はすぐに気付けるんだけど、しなくなる成長って気付きにくいんだよね。
毎日が目まぐるしいし、あっという間に1日が終わるのに、今日も1日長かったと疲れている。
完全にやらなくなって少し経過してから気付くので、もっと今を見とけば良かったなと寂しい気持ちになったりするのである。
……ということを、私はTwitterで先輩ママさんアカウントの呟きで知っていたので、「やらなくなっていくこと」を大事に観察させていただいた。ごちそうさまである。ありがとうTwitter。
成長は嬉しいけど寂しい
それでも、ちゃんと見ていた・残しておいたつもりでも、頻度が減ると成長の喜びと寂しさが同時に押し寄せてきますね。
もう、何かに掴まらなくても立てるもんなあ。
いつから、一人で立ったことに興奮しなくなったかな。
もう、ズリバイはしてくれないもんなあ。
ハイハイをサボって、うつ伏せからの足だけ匍匐前進(服で滑る)は稀に見るのだけど。
もう、寝返りがうまくできなくて激しい逆海老反りの姿勢はみれないんだよなあ。
あれはあれで毎度焦りながら補助に入ってたけど。
もう、首がぐらぐらな赤ちゃんを上手く抱っこできる自信がないぜ。
新生児のぐにゃぐにゃで不安定な時期を、よう乗り越えたものだ。
たった1年間でこんなに寂しい気持ちになる夜もあるというのに、いざ反抗期なんてきたらどうなるんだ!?
昔のアルバムを引っ張り出して、枕を濡らすタイプのうざめな親になってしまうのだろうか!?
育児、何があったかすぐ忘れる問題
あんなに大変だったはずなのに、思い返すと美しい思い出として再生されるのすごいよね。
きっと、忘れないと今日を過ごせないのと、毎日何かしら起きる事件に翻弄されて、覚えておくどころじゃないんだろうな。
昨日起きた出来事すらすぐに忘れてしまう。
めちゃくちゃ綺麗に言うと、今を生きてますね。(謎のドヤ顔)
ちなみに、左は「育児日記をつけたい!」と買った分厚いモレスキン手帳。真っ白に終わった2020年。
右は「とはいえ、育児日記をつけたい!」と買った薄めのモレスキン手帳。
諦めきれなかった。
今の所わりと黒くていい調子なので、年末にはいい感じに汚くなっているといいなあ。
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