仕事と育児、「以外」の時間に救われる:ピアノ教室に通い続けている理由

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実は今週、ピアノの発表会が控えている。

「私のお気に入り」と「スパークル」の2曲をお披露目するのだ。

ピアノの発表会なんて、小学6年生ぶりだよ。

当日は黒のロングスカート(手持ちで一番高い)は決まったんだけど、いかんせん上が決まっていない。

”良いシャツ”は産前の、しかも体型最盛期にオーダーしちゃったもんだから、腕周りがぱっつんぱっつんなのだ。

うちの教室の生徒さんだけでやるこじんまりした発表会なんだから新調しなくていいのよ、と先生は言ってくれるのだが、ここ2年で綺麗めの洋服が消失したんだよね。

妊娠で一度着れなくなった洋服たちがクローゼットに眠り、体型に合わせて購入したオフィスもOKなゆとりある服は正直好みではなく、職場復帰したとはいえフルリモートゆえに「きれいなTシャツ」が制服化しておりなんかこう、仕事でもちょっとした良い場所でも着れるいい感じの服がないのである。

仕方ない。こちとら4月に復職しお賃金を自ら稼ぐ身であるし、ここはいっちょ、経済を回す旅に出るしかないな。(意訳:久しぶりにお洋服たくさん買うぞー!!)

妊娠中に通い始めたピアノ教室

やたらと前置きが長かった。

今から約2年前、妊娠7ヶ月頃にピアノ教室に通い始めた。

その頃の私は早めの産休という名目で休職しており、なんというか、とても時間を持て余していたのだ(正直)。

さすがに臨月手前で一時休止し、そこから子供が生後半年近くの首が完全に座るまでを待って、昨年夏〜秋に再開して今に至る。

妊娠時期も救われていたのだけど、今もまた、改めて救われているなと思うのですよ。

【妊娠34週目】ピアノ教室には救われていた気がする
ピアノ教室の最終レッスン日 2ヶ月ほどの短期間ですが、ピアノ教室に通っておりました。 というのも、法定産休入る前から休職しておりまして、割と時間はあったんですね。 なぜピアノかと言うと、「まあ思い立ったので勢いで!」というしかないんです...

仕事か育児かになりがち問題

復職をして感じたのは、常に追い立てられている気持ちになること。

まあそれもそうで、1年以上ぶりの慣れない仕事に、終われば即保育園へのお迎え、からの夕飯お風呂寝かしつけ、と1日の時間が「仕事」or「育児」とシームレスに続くのだ。

寝かしつけ後に自由な時間を満喫できるかというと、もうね、体力的に無理。

復職初期は20時に子供と一緒に寝落ちしてた。

復職1ヶ月間の心境変化など:やる気と焦りと凹みと弱音と、ありがたい周辺環境
復職して約1ヶ月。 GWを挟んでいるので、実質稼働としてはだいたい3週間でしょうか。 そろそろ、準備運動も終えて仕事は慣れてきたころかな。 5月末といえばそんな頃合いだろうと復職前の私は思っていたのですが、まあ全く慣れないですね!? ...

これがね、地味に辛いんだよ。

あれもこれもしているのに、何ひとつしていない。

そんな感覚になるんだわ。

ここに全く異なる「ピアノ」が入ってくれることで、リセットできたり、感覚を戻したりできる。

定期的な”外”の場がもたらしたもの

産後のピアノ教室は隔週1回、子どもと一緒に通っている。

前半を子供メインのリトミック、後半は子供見てもらいながら私のピアノ時間。

0〜1歳の乳幼児期の「隔週」は、外の人から見ると成長著しく、「前回より足腰がしっかりしてる!」「太鼓を叩けるようになった!」「いつの間にか発生している!?」など、毎日過ごしてると流しがちなあれこれに気づいてもらう定点観測の場にもなっていた。

なんかね、子育て報われる感じあったよね。なんだろうね。

うまくいえないけど、「私は本当に育児をしているのだな」と確認できていた気がする。

育児にも仕事にも、そこまで煮詰まってる方ではないと思っているのだが、溜め込んだり抱え込んだり、そこそこ人並みにはしてるのだなあと自覚する。

ピアノの先生は褒めの語彙力が豊富で、毎度毎度、あれこれ褒めてくれるのだ。息子のことも、私のことも。

えへへー、ありがとうございますー、と言いながら全受けしてるのだけど、ふとした瞬間に言われたことを思い出して、気が緩んで泣きそうになることがある。

褒めの言葉でありつつ、本質は、”承認”なんだろうな。

日々の生活は当たり前のものだから、その生活たる仕事や育児も当たり前のものであって、それを「えらい!」「すごい!」「これもできてる!!」「練習までしてきたなんて、素晴らしい!!!」と真正面から衒いなく浴びせられると、「我は日々、壮大な難事業に取り組んでおるのだ!!!」と自尊心が肥えていくのを感じる。

その勢いのままケーキ屋に立ち寄り、美味しいものをるんるんしながら購入して帰路につくのだ。良い1日の締めである。

「ピアノ」が良かった理由は、手を動かすから

平日は子どもをお風呂に入れてもらってる間の10分とかだけど、それでも、「仕事でも育児でもないこと」をやっている時間、なんとなく本来の自分を取り戻す感覚がある。

ピアノが続いている理由は、「手を動かすこと」で半強制的にぐるぐると延々と続いてしまう「考え事」から離れられるから。

多分、読書などの”身体活動が伴わない趣味の時間”では、補完できないものなのだ。

妊娠中にしろ産後にしろ復職後にしろ、今まで悩まなかったことに悩む機会が増える。

それは考えてどうにかなるものなら前向きに考えるのだけど、大概、私一人が気に病んでもしゃーない中身であることが多い。

なんか凹みやすくなったし、自分主体でどうにもならんことばかりだし(子どもの発熱でスケジュール縛られるのは、”あるある”とも言えない日常風景だ)、成長なんて個人差が大きすぎるし、ホルモンバランスはしっちゃかめっちゃかだし。

悩んだり考えたりしたところで何ともならなくても、悩んじゃうし気に病むんだよ…。

そんなとき、ピアノに向かうのは良い。

いかんせん手元に集中しないと、曲が弾けない。指の動かし方を考えて、楽譜を追ってるうちに、「悩み事」に頭を使う余裕がなくなってくる。

人間、「考えない」ことは出来ないけれど、「別のことに集中する」と、結果的に「考えない」を出来るようになるのだ。

なにか武道やスポーツやってた人には通じるかもしれないんだけど、「体の力を抜く」のは難しいんだけど、「肚に力を入れる」と結果的に他の部分から力が抜けて体軸安定したりするのよね。

あれと近いものを感じている。

もし「考えても仕方ないこと」が頭の中を支配してどうしようもないとき、手を動かす新しい何かを始めてみるの、おすすめですよ。

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