「来談者中心主義」と「アドバイス」は両立するのか、線引きをどこに置くのか問題を考える

キャリアコンサルタント

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キャリコン養成講座序盤から感じていた違和感

キャリアコンサルタント養成講座に対する疑問や違和感の一つに、「アドバイスや意見を述べることは原則しない」というものがあったんですね。

これはいわゆる「来談者中心主義」という基本的な姿勢に基づいているんですが、要は、「コンサルタント(カウンセラー)側の知識量や権威よりも、コンサルタントの態度のほうが重視される」療法なんですよ。

(資格受講者にはおなじみ、試験にも頻出な「無条件の肯定的関心」「共感的理解」「自己一致」ですな。ロジャーズ!)

 

まあ、転職マッチングを成功させてなんぼの転職エージェント出身というのもあるかもしれませんが、私はどちらかというと「アドバイスまでできてこそのプロだろう」と思っている人間でして。

そのアドバイスを分量たっぷりにするのか、控えめにするのか、あえて出さずに本人に考えてもらうのかなどの配分も含めてコントロールできてこそプロでは、というか。

「アドバイスしない」はいいけど、「アドバイスできない」はNGだろう。

相談に来ている、来談者が中心であることには全くの異論はないんですよ。そりゃ顧客ファーストよ。姿勢としても、仕事としても。

ただ、キャリアコンサルタント養成講座での教えや点数が取れるロープレを忠実に守っている人の中には、「アドバイスをしてはいけない」が転じて「アドバイスができない」になっちゃう人も出てくるのではないかと感じるわけだ。

 

話を聞いてもらうだけで楽になったり、自分で考えるための思考整理の補助はありがたかったりするのは勿論あるんですけど、けどけど!!

「キャリア」の「コンサルタント」であれば、知識はあってほしくない?

知っているからこそ、知らない自分に対して選択肢を提示してほしくない???

試験対策の面では、別に攻めたアドバイスはしなくていいんだけど(むしろしないんだけど)、実務としてやるならアドバイスは必要ではー。ではではーー。と考えるのが私の意見でございます。

 

多田先生の講義動画「アドバイス恐怖症」を視聴した

キャリコン試験界隈における推しは多田先生なんですが、試験対策しつつ理論の深掘りとか考察とかしたくて多田先生の主催の「Shien.Lab」に登録してるんですね。

週一で様々なテーマを取り上げた動画講義も登録者に配信されるんですが、今週のテーマが「アドバイス恐怖症」だったわけです。

上述含めて思うところ多々ありまして、概要まとめつつ刺激されて考えたことをしたためた次第。

講義聴きながらの走り書きになっているのだけど、キャリコンなかーまとこういうこと討論したいお気持ちがあるのよ。

講義内容の概要は引用マークにて。

※多田先生、ブログ引用許可ありがとうございますー!

①価値観・意見の伝え方

自分の価値観、自分の意見を相手に伝えることはダメなのか?
・言い方に含みをもたせたらどうか?
・根拠があったらどうか?

そもそもアドバイスを求められていることもあるのではないか?

相対的に「違う」ことで、初めて自分の価値観が可視化されるのでは。

なぜ、目の前のこの人は、相談を受けにきているのか。相手と同じ温度に浸かる。

専門性を磨く意味は、ここに対して適切な対応をできるようになるためでは。

意見を言えない分野は果たして「専門性」と言っちゃっていいのか。意見を「言わない」判断はもちろんありだと思う。

②自己決定権について

■相手の「自己決定権」は思っているよりも強力
・相手は自分で選ぶ
「やる人はやる、やらない人はやらない」

自分にはここの考えが足りなかったかもしれないなあ。

「自己決定権」はある種立ち入れないくらい強い。

他者の意思決定の強さを信じきることって重要では。(身内事案を思い浮かべつつ。。)

相手が自分のアドバイスに影響を受けてやってみた
>失敗
>誰のせい??

最終的に選んだのは、本人である

自己責任とはまた違う?

立場の入れ替えで考えてみる

私は、私自身が選んだことをそこまで相手のせいにしているだろうか?

自分がそう考えているときは、そう思って・感じてしまうのではないか

「意見を言うこと」を怖がることで、どんないいことがあるのか? を検討。

③何のためのアドバイスなのか胸に手をあて考える

・アドバイスする
>相手がどういう選択、行動をするか見守る
>自己重要感、自分の存在価値(役割)を充たそうとしない

あーー。私はここの部分が結構あるなあ。

『思い入れが強すぎると、相手がアドバイス通りの行動をとってくれるかどうかに対して、押し付けが生まれてしまう』

わかるーーーーーー。

相手の行動は「見守る」にとどめる

選択肢を明示する。ところまでしかできないよね。

そこから先は、「私」の問題ではないもんなあ。

「それは、私に影響があることなのか???」

いざというときに本人が困ったり、するかもしれないけど、ぶっちゃけ、自分の生活には影響を及ぼさないよね?

身内へのアドバイス問題にも通ずるところだよなあ。。。

④「私」への影響と連動する場合

■チームとして動く場合(自分にも影響が大きい)
・基本は自分で決めさせる
・アドバイスの熱量がいる
・圧倒的なエネルギーが必要
・利己主義が垣間見えるとうまくいかない

※想定)上司・部下の関係などのときや、相手にも成果を求めるフリーの業務委託の発注/受注関係など。

部下側としては、すごく分かるのになあ。すごく分かるのになああ。

上司側の立場になった途端に、うまく「相手に委譲する」ことが難しくなるのはなぜなんだろうか。

今の自分の本業仕事でもこのへんが課題なんだよなああああ。

どうしても「分かっている状態」「把握できる状態」にしておきたくなってしまう。

なぜなのか。多分ね、怖いからなんだよなあ。

 

以上。講義はここまでになります。

 

自分は「線引き」をどうしていくのかを考える

ここ考えどころなんですよね。

自分の場合は、基本に立ち返って「多重関係の徹底排除」からなんだろうな、と思うんですよ。

キャリコンに限らず、コーチングも含めた相手に深く入り込むタイプの対人支援においては、「多重関係」というのがタブーとされます。

例えば、「親友にキャリコン支援をする」とか、「家族にコーチングの手法を使う」とかですね。

クライアントであり、親友。

家族であり、クライアントである。

これはNGなのである。

 

なぜかって?

距離感がおかしなことになるからだよー!!!

 

内面に結構えげつなく入っていくことなので、クライアントとは友達になっちゃいかんし、身内にコーチングするとえらいことになるらしいです。というか、なります。

「自己決定権を信じて、見守るに徹する」

とても当たり前のことだけれども、言うは易し行うは難しなんだよな。

熱いねん、、、わい、、実は熱苦しいタイプの人間やねん。。。

言い方は語弊があるかもしれないけれど、だからこそ、

自然と自己決定権に委ねられる、「完全にクライアントでしかない」方の支援に注力することこそ、入り口部分から線引きを行うことが自分にとっては最初の徹底事項かなと思っている次第です。

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